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バルクリシュナ・V.英国王立建築家協会フェロー、インド建築家協会フェロー。1927年8月26日、プネー生まれ。

ボンベイのJJ建築学校で建築の勉強を始め、1951年から1954年の4年間はル・コルビュジエのもとでシニア・デザイナーとしてパリで、さらに4年間はインドで働き、アーメダバードでマスターの仕事を監督した。 1955年、同市郊外に環境デザインスタジオ「ヴァストゥ・シルパ」を設立。

ドーシは、インディラ・ガンジー国立芸術センターやアガ・カーン建築賞など、いくつかの国際・国内コンペティションの審査員を務めている。

彼の仕事は、彼自身のプロとしてのアイデンティティを見出すための絶え間ない闘いであっただけでなく、建築の分野で自国のニーズに応える方法を見出すための闘いでもあった。社会的、経済的な条件と調和した建築、謙虚さと匿名性を表現した建築は、彼自身の人生の期間やその時々の価値観を超越したものであった。 ドーシは、ル・コルビュジエがインドで建築を行なっていたときに初めてル・コルビュジエと出会い、長い間協力関係を築いたことから、「周囲の気候、伝統、機能、構造、経済、景観を観察し、それに反応することで機能する」ことを学んだ。

ルイス・I・カーンと彼のインドでの傑作建築から、彼は芸術と建築、普遍的な調和の達成、意味のある社会秩序としての空間の明確化について学んだ。

しかしドーシは、こうした偉大で静謐な教訓を得たからといって、彼の建築が本物の現代インド建築になるわけではないことに気づいた。 長年にわたり、彼はインドの文脈の中で近代建築を繊細に取り入れ、洗練させた建築を作り上げた。 環境問題や都市問題との関連性から、彼は思想家であると同時に教師でもある。 重厚化と建築的スケール、そして空間と共同体の明確な感覚が、彼の作品のほとんどを特徴づけている。 ドーシの建築は、自国の近代建築の最も重要なモデルのひとつとなっている。

建築家としての国際的な名声に加え、ドーシは教育者、施設建設者としても同様によく知られている。 アーメダバード初の建築学校の創設ディレクター(1962-1972)、初の計画学校の創設ディレクター(1972-1979)、環境計画技術センターの創設者(1972-1981)、アーメダバード視覚芸術センターの創設メンバー、同市初の芸術センターの創設ディレクター。 彼の研究機関であるヴァストゥ・シルパ財団は、ローコスト住宅と地域の都市計画のパイオニアである。